Eriko Ito

東京の、とあるソーシャルセクター(中間支援NPO)に勤めて約6年。期間限定でSeattleのNPOに参画後、帰国して出産しました。現在は育児休暇中。NPOスタッフが感じるあれこれを発信していきます。

LGBTは許せる差別か。ウーマンラッシュアワー村本氏とフローレンス駒崎氏の「保毛尾田保毛男」問題

ウーマンラッシュアワー村本さんとフローレンス駒崎さんの一連のやり取りをみて、そして更に駒崎さんに対する批判コメントをみて、愕然とする。

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ひえーーー、、日本人ってここから再教育しなきゃいけない人がいるの…?この手の層が発言力を失って世代交代するまで数十年を要することを考えると、もし子供がLGBTや、その他日本人から差別的に受け取られる指向性を持って生まれたら、速攻で一緒に海外に逃げるレベルだわ……

”差別する側”の言い分①-他にも差別あるじゃねーか問題

そもそも、こういう差別・偏見が問題になった時に出てくる論点トップ2が、

  • それ言うんだったら、アレとコレとソレも差別になるじゃねーか!
  • 俺も差別・偏見を受けてる。でも頑張ってる。みんな同じだ!どうしてお前だけ被害者面して社会に訴えるんだ!(ずるい!むかつく!なのかな?心の声は)

というものだと感じていますが、

前者に関しては、「コレはコレ。ソレはソレ。」でしかない。数多ある社会問題を同じ土俵で議論することは出来ないし、そうする意味がない。

何故なら、その社会問題が起きている背景も違えば、その差別による被害・深刻度も変わってくるから。苦しんでいる人がいる。その事に向き合って、一つ一つを「別の問題」として捉えて対処していくしかない。だから、「社会問題の完全解決」は難しいんだと思う。

実際に駒崎さんのコメント欄の中にあった、「コレはコレ、ソレはソレ」じゃない?と思った駒崎さんへの批判コメントはこちら。

では、酔った人のモノマネやコントにも腹を立てますかね?アル中の人が怒りますか?あなたらみたいに、きれいごとで片づけようとしてる人こそ差別にびびっている差別者なんですよ。 

すぐ忘れる人のマネはADHDの人が嫌がりますか?人の気持ちを理解できないおバカキャラアスペルガーの人が嫌がりますか?天然なキャラは天然の人が嫌がりますか?おもしろいカツゼツで離すコントは、きちんと話ができない人が怒りますか?ハゲの漫才はハゲが怒りますか?

 色々な階層の「差別」がごっちゃまぜになっていて、これでは議論が出来ません。まずは、「議論の前提」の整理が必要です。

 

”差別する側”の言い分②ー俺も我慢してるんだ!問題

二つ目によくあるのが「俺も我慢してきたんだ!」という主張。俺だって、色々な差別を受けている!でも乗り越えてる!だからお前も我慢しろ!

 

こういう主張の人が現れた時に、いつも言ってあげたくなる事が、

「あなたも我慢しなくてよいんだよ。」ということ。もし、その人がそのことで本当に苦しんでいるなら、誰かに助けを求めてもいいと思う。そして「自分では解決できない、社会構造のはざまで苦しんでいる人」がいれば、それは”社会課題”なんだと思うんです。

それは学歴差別や人種差別、その他、色々な差別が当てはまります。そして、多くのソーシャルビジネスは、そんな人たちを目の当たりにしてしまった、”気づいてしまった人”たちが創業者となって、そんな人たちが苦しまなくて良いように事業を進めています。

だから、もし「俺も差別を受けてきた!苦しんでいるんだ!」と思って、この問題に声を挙げている人がいるならば、その声の挙げ方と挙げる方向性をもう一度、考えてほしい。

同じく苦しんでいる当事者に対してではなくて、あなたの苦しさを助けてくれる人・組織、もしくは世の中に対して発信して、その差別の解消に少しでも声をあげてくれたらいいなと思います。

”非当事者”が社会課題に関わることの重要性

二人の議論の中では、「当事者じゃねーくせに、善人面してんじゃねーよ!」みたいな話もあるそうです。ここに関しては、「苦しんでいる当事者に、そんなパワーはない」と断言したい。(稀に、その苦しさをバネにできる方もいらっしゃいますが、100%ではない。)

どんな人にも良い時と悪い時がある。(体調だったり、運気だったり、なんでも)そして悪い時に助けてくれるのは、大体において「非当事者」です。

非当事者だろうが、当事者だろうが関係なく、「その問題をなんとかせねば!」と思って、何かしたいと思う。そう思った時点で「全員が当事者」であると思います。

これが「当事者意識」と呼ばれるものですよね。(もはやソーシャル業界の人には必須すぎて、あえて書くのが恥ずかしくなった。笑)

困っているのは自己責任?

もう一つ。今回のLGBT問題ではあまり出てきませんが、社会課題の話が議論になると良く出てくるのが「自己責任」問題。

例えば、シングルマザーの相対的貧困の課題に対しては「離婚したのは自分。だから自己責任」といった論調が必ず出てきます。

 

いやいやいやいや!!(汗)そんなの、わかんないでしょ!だって離婚した背景なんて夫婦にしか本当のところは分からないんだから!(汗)DVや性的虐待、色々な問題が背景にある場合があります。

 

社会課題は構造が複雑すぎて「何が本当の原因」か明確には分からないものも多い。多くの要素が複雑に絡み合って、ある条件が成立してしまった時に”たまたま”当事者になってしまうものもある。

だからこそ、「全ての社会課題の解決は、”自己責任論ではない”ところからスタートする」と思っています。

もちろん支援のリソースには限りがある。だから「緊急度・優先度・重要度」の3つの軸を掛け合わせて、支援の順番を決め、一つずつ対処する、というのが課題解決の方法なのではないでしょうか。(あともう一つの重要な軸は、「創業者の強烈な思い・当事者意識」かな)

 

この「全ての社会課題の解決は、”自己責任論ではない”ところからスタートする」というのは、前職のNPOに居た時に出会った多くの社会起業家の方から学ばせていただいたことの一つ。

そしてSeattleに来てから改めて思いを強くしているものでもあります。

 

LGBT問題に限らず、多くの社会課題において皆が「自分の問題」とは切り離して、当事者の困難に寄り添えるようになったらいいなと思います。